タジク語でいこう―言語と方言の間
月刊言語2005年4月号82-87頁

井土愼二(いど しんじ)

このエッセイの題名は「タジク語でいこう」だ。そこで、さっそくタジク語について書きたい。
ところが実はすぐには書けない。だいたい「タジク」とは何だ。何を指すのか。そういう声がきこえる。そこでまずタジクという言葉について書き、その後タジク語の話を始めることにする。
このように書いたものの、これは難題だ。そもそも、タジクという言葉のおこりはいつか、またはどこか。これがわからない。その指すところなどはさらにわからない。これでは話がはじまらない。そこで、とりあえずタジクという語の歴史を追っていく。

「タジク」史

歴史を追うといったが、どこから追うか。少なくとも千年以上前から追いたい。
千 年以上というとかなり昔だ。昔のことを知りたいときは漢字の史料が役に立つ。何しろ漢字には三千年を超える歴史がある。文字は世界でも珍しかった時代か ら、漢字はいろいろなことを記してきた。耶馬臺、すなわちヤマトの国についても記した。ヤマトに限らず、アジアの諸民族について記した。漢字の史料をひっ くり返すとアジアで起こったたいていのことにはふれている。
そのような記録に「大食」という語があらわれる。タイショクとは読まない。これは現代 の日本語読みだ。現代の中国語の標準語ではどうか。ターシーといった感じだ。しかしこうも読まない。なにしろ「大食」が使われたのは昔の話だし、場所も北 京ではなかった。唐の時代。場所は文化の中心地だった長安あたり。「大食」の発音はタイショクでもターシーでもなかった。ある推定によれば、ダイヂゥクま たはタイシゥクのようだった。すなわち、「タジク」。これは「タジク」の記録に残るもののなかでも古いものに数えられる。
それでは大食はなにをさしていたか。回教圏からの人をさしていた。これは当時主にアラブ人だった。わかったタジクはアラブ人か。このように簡単にことが運べば嬉しい。しかしそう簡単にはいかない。誰も現在のアラブ人をタジクとは呼ばない。
そ こで漢文以外の資料を漁る。すると、「タジク」についていろいろな説明がある。曰く「冠を意味する語から派生した」。曰く「『アラブ』を意味する中世ペル シャ語にその源を発し、中央アジアのイスラム教徒を指すようになった」。「アラブ人が中央アジア人を指して使う単語として登場した」というものもある。説 明の内容は食い違う。誰によって使われたかなどの点で曖昧な説明もある。しかし「タジク」が中央アジア人らしいことはわかる。中央アジアとは現在ウズベキ スタンやタジキスタンなどの国々がある辺りだ。
それでは、中央アジア人即ちタジク人だ。このように簡単にことが運べば嬉しい。しかしやはりそう簡単にはいかない。
大 食が登場する七世紀から時代を数世紀下った頃、中央アジアにはトルコ語に似たことばを話す集団とペルシャ語に似たことばを話す集団が多かった。(いまでも 多い。現在でも中央アジアの人口は大体この二種類の集団で成り立っている。)このトルコ語に似たことばを話すほうが自分以外の人々をまとめて「タジク」と 呼びはじめたらしい。当時トルコ語に似たことばを話す人々にとっての「自分以外の人々」はだいたいにおいて、ペルシャ語に似たことばを話すイスラム教徒 だった。ここに、「タジク」の新しい定義ができた。「中央アジアに住み、ペルシャ語に似たことばを話すイスラム教徒」というものだ。
言語、宗教、 地理に基づいたこの定義が、現在もっとも一般的な「タジク」の定義の原型だ。この定義に適う集団は主にタジキスタンとウズベキスタンに住んでいる。ただ し、現在の中央アジアには、主に十六、十七世紀にイランから移住してきたとされる、シーア派のイスラム教徒もいる。彼らのことばもペルシャ語に似ている。 しかし彼らには「イラン人」という単語が使われることがある。彼らを「タジク」の範疇から除きたい。そういうときは、「タジク」の定義は以下のようにされ うる。「ペルシャ語に似たことばを母語とし、スンナ派イスラム教徒で、中央アジア人。」
右では現在一般的に使われる「タジク」の定義を示した。しかし、もちろん「タジク」の定義は不変ではない。例えば、ソ連ではタジキスタン内の少数民族が、母語が何であるかに関わらず、公けには「タジク」として数えられたことがあった。
前 述の定義に適う者の自称がタジクであるとも限らない。自称が「タジク」である集団が既述の定義によるタジクであるとも限らない。例えば、中国領の西端にあ る塔吉克自治県やその近くの幾つかの町に住む集団の自称は塔吉克だ。彼等自身の発音ではトゥヂク。中国政府による他称は塔吉克。要するに「タジク」だ。し かし、彼らの言語はサリクル語とワハン語だ。これらはペルシャ語とよくは似ていない。宗派はシーア派の一派であるイスマーイール派だ。よって、彼らは前述 の定義に拠ればタジク人にはならない。
ともあれ、「タジク」という言葉の定義については私達は前述のもので満足しておく。本当はもっと面倒だ。しかし、そこまでとやかく言うと本が一冊書けてしまう。この辺で打ち遣るのが良い。

タジク・ペルシャ語?

前節ではタジク人のことばを長たらしく「ペルシャ語に似たことば」と呼んだ。このペルシャ語に似たことばは主にタジク人によって使われる。よって簡単に「タジク語」と呼べる。以下ではタジク語と呼ぶことにする。
し かし、ここに問題がある。タジク語はタジク語と呼ばれない場合がある。英語やペルシャ語の文献からの例を挙げる。例えば「タジク-ペルシャ」語。または曖 昧な括弧つきの「タジク(ペルシャ)」語。「ペルシャ語タジク方言」(注)などと呼ばれることもある。タジク語でも「タジク・ペルシャ語」(ザボニ・フォ ルシイ・トヂキー)という表現が使われたことがあった。これは何故か。タジク語はペルシャ語なのか。
タジク語とペルシャ語は「同系」だ。時代をさかのぼると同じ祖先にたどり着く。(それがタジク語の唯一の祖先だというわけではない。)姉妹のようなものだ。タジク語とペルシャ語は大きくは異ならな い。通じないということはない。感じとしては東京弁と京都弁と思ってもいい。それではタジク語とペルシャ語は一言語の二方言か。それとも二つの独立した言 語か。それが問題だ。
あ ることばが言語か方言かを決める基準がある。お互いに通じるか通じないかだ。たとえば日本語をオランダに行って話す。通じない。その逆も然り。日本語とオ ランダ語はお互いから独立した言語ということになる。東京弁を長野に行って話す。かなり通じる。その逆も然り。この場合、 東京弁と長野弁は一言語の二方言とされる。しかし、この基準は基準とすることばがひとつだけ決まっていてはじめてその意味がある。政府によって言語とされ たことば二つが通じたらどうなるか。トルコのニュース番組でアゼルバイジャンのアナウンサーとの生中継による会話があった。トルコ語とアゼルバイジャン語 の会話になった。トルコ側は特に聞き取りに苦労していた。しかし会話は成り立っていた。この場合、トルコ語とアゼルバイジャン語はお互いの方言か。
こ の例を見てもわかるとおり、前述の基準は、現実に言語の区分けをする場合にはあまり顧みられない。人為的にひかれた国境が言語の境という場合がかなり多 い。別の言い方をすれば、あることばが言語か方言かは政治的に決まることが多い。この決定に宗教が関連することもある。このことを念頭において、ペルシャ 語とタジク語を見てみよう。
ペルシャ語はイランの公用語だ。イランの国教はイスラム教のシーア派に属する。一方、中央アジアのタジク人が信奉するイスラム教は宗派が違う。スンナ派に属する。宗派と国境がイラン人とタジク人を隔てている。十六世紀始め前後からこっちずっとこうだ。宗派と国境の壁が五 百年間存続している。すると、壁の両側で使われることばの間の違いまで大きく感じられる。また、実際に大きくもなる。

タジク語の成り立ち

こ の状況を身近に感じてみるため、日本に置き換えてみよう。例えば、静岡あたりに国境線をひいてみる。国境がひかれる理由はなんでもいい。平将門が関東に 張った威が続いたとしてもいいし、室町幕府の覇が静岡以東に及ばなかったとしてもいい。宗派も違えてみる。静岡以西の「関西国」は浄土宗を国教にする。静 岡以東の人々は主に日蓮宗を信奉する。五百年ほどが経つ。「関西国」では京都弁を基礎にした国語、「関西語」が制定される。静岡以東では東京弁をはじめと する諸方言が話される。こうなると、「ほかす」と「捨てる」の違いが方言の違いというよりも言語の違いのように感じられてくる。関西語と関東語だ。さら に、関西国は主に西洋から外来語を仕入れる。静岡以東はソ連に支配される。その結果、関東語は主にロシア語から、またはロシア語を通して、外来語彙を借り 入れる。関西語と関東語の間の違いはますます目立つようになる。
右記の描写で関西語をペルシャ語、関東語をタジク語に置き換えてみる。かなり強引な対照だ。しかし、こうするとペルシャ語とタジク語の関係がなんとなくわかろう。たとえば、関西語話者が関東(語圏)に来て買い物をする。
━ごめんやす。
━おっ、旦那、関西国人だね。
━ビフテキおへんか。
━ビフシュテクスかい。ウジェ(もう)はけちゃったな今日は。
━氏家?
━ロシア語の外来語が増えちゃってね、やんなっちゃうよ。
━ロシアンが増えてしもたんか。そらあかんな。
━ちげえねえ。からっきしだ。ア(でも)、どうにもしょうがねえ。
━なむあみだぶつ。
━なむみょうほうれんげきょう。
といった会話が交わされるようにもなる(かもしれない)。
このような状況で、関東語、否、タジク語を一方言として扱うか一言語として扱うか。この選択は政治的立場の表明にもなりうる。なかなか厄介だ。
少 なくとも名称の点では、最近の趨勢ははっきりしている。一言語としての名称、即ち「タジク語」の勢力が増している。(この名称はタジク語でザボニ・トヂ キーまたは簡単にトヂキー、英語ではタジクとなる。英語では最近タジキが登場した。)「ペルシャ語タジク方言」や「タジク・ペルシャ語」--これらは主に 西側のイラン文学研究者によって使われた表現だったが--は最近減ったように思える。

ややこしき中亜

本稿では「タジク」と「タジク語」という名称の使用について書いた。簡単に端折って書いた。それでもこれだけの長さになる。実にややこしい。
しかし、これは仕方がない。中央アジアはなにしろ大陸のまんまんなかにあるだけあって、いろいろな集団がやってくる。アラブ人がイスラム教を持ってきたり、 モンゴル人が征服しに来たり、ロシアが支配しに来たり、スターリンが様々な民族を強制移住させたりと、とにかく落ち着かない。ペルシャ語に似たことばをを 話す集団がいるところに、トルコ語に似たことばを話す集団が押し寄せてきたりもする。二言語や三言語併用も普通だ。集団間の線引きもなかなか難しい。始終新しい線が引かれたり、古い線がぼやけたりしている。
世の中にはややこしいものもある。そう達観するよりほかない。

(注)アフガニスタン、イラン、タジキスタン及びウズベキスタンで使われる南西イラン語をそれぞれダリー、ファールシー、タージキーと呼び、「ペルシャ語」をこれらの包括的な呼称として使用する文献もある。


(シドニー大学言語・文化学部/言語学)